学校設立の経緯
7歳で母を亡くした私は、人の生には終りがあることを幼い時に学びました。高校3年生の進路の選択時、自分の人生の最後に何をしたら納得できる人生になるかを考えたことがこの無料の美術スクールの開校につながったと思います。その当時は、「アジアの貧しい子ども達を応援する何かをしよう」程度の漠然とした考えでしたが、その思いは心の奥深くにに芯として残り、都立高校の美術家教員として働きでしたから、美術表現を通してアジアの子ども達と関わって行こうと云う具体的考えになりました。
教員になって10数年過ぎた或る日、若い時描いた人生を具体化しようと決心しました、教員を辞めるまでの約20年間資金作りをしながらスクール建設の候補地を探しました。ネパール、インドも候補地でしたが、最終的にカンボジアを選びました。カンボジアは、ポルポト政権下で多くの芸術家や教師が虐殺されてしまい、いろいろな分野で指導する教師がいないと知り、私の能力を活かせるのではないかと考え、カンボジアに決めました。私は第二次大戦後すぐの日本に生まれたものですから、似たような状況下にあるカンボジアの子ども達が置かれた状況を推測することができました。